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先日のMacWorldで発表されたiPod Shuffleについて、Jobsが語っていた言葉を聞いて思ったこと。
これまでの小さなフラッシュメディアプレイヤーには、沢山の機能(ボタン)が付いている。ユーザーはその使いにくいユーザーインターフェースを我慢しながら使っている。iPod Shuffleはそれに反し、本当にユーザーにとって扱いやすいものとは何かを考え、最小限の機能だけを持たせたのだという。これは「道具」として正しい進化だと思う。
このことは携帯電話でも然り。話すことだけの携帯電話を作ったら注文が殺到したという記事をみた。いろんな機能のついた道具を好む層があるのは知っているが、実は、ほんの一部のユーザーだけなのだと思う。
ソフトウェアの世界なんて、もっとひどい。新しいソフトを売るために、本当に必要かどうかわからないような機能をたくさん盛り込み、どんどん肥大化している。code は肥大化し、多くのバグも盛り込まれ、、、そんなものは、手になじむ道具にはなり得ないだろう。道具に人の方が合わせるなんて、本末転倒ではないか。
道具が道具として完成するためには、シンプルであることが要だと思う。科学理論だって、シンプルな理論ほど正しい。複雑なものは、基本にはなり得ないのだ。